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日々の芥

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渡辺京二の”北一輝”を読了。
ここのところ、”逝きし世の面影”、”日本近世の起源”、”江戸という幻影”とまとめて渡辺京二の著作を読んでいる。きっかけとしては、”美しい国”というスローガンに違和感があり、しかし、時代小説や、旅の途中にみる昔ながらの情景に、密やかな憧憬をもつ自分の違和感のもとを探るというのが後付けの理由ではある。
戦後20年以上たってから生まれた私にとっては、戦前という時代が、明治、大正、昭和とひと括りにして、学校教育では、社会科や日本史の三学期に教えられたものである。戦後という時代とは分断されていて連続性を感じない。今から考えると、歴史の授業というのは教える順番が逆だ。編年的な順序で教えるのではなく、近い過去から順に教えるほうが意味があるとおもう。
私の中には、明治という時代の不可解さがあって、どうもうまく言語化できずにいた。それは明治という時代を近代としてとらえるから違和感があるのであって、江戸時代をある種の近代と考え、明治はその政治体制が簒奪された時代と考えるほうが諒解しやすくなる。
政治的なスローガンが、何を目指しているのか、理解しようともしていないのだが、目次を見る限り、私にとっての美しくない時代への懐古のように思える。

北一輝 北一輝
渡辺 京二 (2007/02)
筑摩書房

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追記
それにしても、ここからダウンロードできるPDFはひどいな。いまどき、スキャンしただけで最適化されていないPDFは久しぶりにみた。たかだか4ページで9MBもある。安くて薄い紙をスキャンしているから裏写りしているし、A3版もあって、期待通り27.5MBある。こういう非常識なPDFを配布できるセンスって。
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