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日々の芥

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関西の仕事も終わり、今日は京都で一息。
鴨川の納涼床にお呼ばれして、雑談。

鬱病の一歩手前の横綱について。相撲が何故国技なのかを考えよう。しめ縄を自分に巻いているんだよ。ようは、横綱というのは、生きている御神体なんだ。神社にしめ縄を巻いているご神木があるのと同じ。だから、巡業というのは、ご神体が諸国を行脚して興行を行うという民間宗教と娯楽が一体化したものであって、諸国の五穀豊穰を願うために必要な行事ととらえるべきだ。

外国人力士を排除すべきとは言わないが、相撲をプロの格闘技としかとらえていないような横綱はいらないでしょう。

巡業の終わりに別れの挨拶として歌われる相撲甚句の「当地興行」にこうある


当地興行も本日限りヨ 勧進元や世話人衆 ご見物なる皆様よ
いろいろお世話になりました
お名残惜しゅうは候えど 今日はお別れせにゃならぬ
我々立ったるその後は お家繁盛 町繁盛
悪い病の流行らぬよう 陰からお祈りいたします
これから我々一行は しばらく地方を巡業して
晴れの場所で出世して またのご縁があったなら 再び当地に参ります
その時ゃこれにまさりしご贔屓を
どうかひとえに 願います


こういう思いが巡業にはある。だから国技なのだ。それが理解できないとなぜ自分が否定されているのか、横綱には理解できないだろうし、ついこの間まで、横綱ともてはやされていたのに急にヒールになってしまうと、人間不信になって鬱にもなるだろう、などと京都の夜は更けてゆくのだった。
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